インド国内におけるその活動の初期において、和尚は時に5万人近くもの聴衆を前に語りかけていました。彼がインド・プーナに腰を据え、弟子達が集まり始めると、ブッダ・ホールと呼ばれるホールには世界中から数千〜1万人近くもの人々がやってきて、英語、ヒンディー語による彼の講話に耳を傾けることになります。
その流れるような講話は全て記録され、講話がなされた直後から原稿にタイプする作業が始まり、きわめて迅速に出版されていきます。そのようにして出版された書籍は、和尚の母国語であるヒンディー語によってなされたものも含め、650冊にものぼります。
これら書籍だけでなく、和尚が、その時点における最新の技術を使って彼の講話を記録するよう指示していたおかげで、ビデオ、オーディオ、CDなどの形でも講話にふれることができます。 こうした著作の数々は弟子達によって翻訳され、世界30ヶ国語にて入手することができます。